2008年11月05日

第二章:14

 2ちゃんねるの反社会性はともかく、「自由な言論空間」が無くなることは憂慮すべきこと。さらにいえば、言論を封じるにあたり、コンテンツ(情報そのもの)やコンテンツサプライアー(情報発信者)をターゲットにするのではなく、メディア(媒体)をターゲットにするのは、極めて論理性を欠くし、卑怯であるともいえる。
 30余名の死者を出したオウム真理教の布教メディアとして機能した京都大学のキャンパスが、「自由な言論の場」という理想のもとに、事件発覚後も一切の規制が加えられていないことと対照すれば、今回の2ちゃんねるの閉鎖騒動が異様であることが理解できる。
 勿論、無数に存在する発信者たちのもぐらたたきに勝機を見出せない強権者たちが、メディアを攻撃目標にすることで勝利を目論むのは当然のことではある。
 ここ数年のところ毎年のように、2ちゃんねるの閉鎖の噂が流れるとともに、ある種の騒動が生まれているかとえば、それは、2ちゃんねるがメディア型コミュニケーションだったということに尽きる。
 メディアという実体がある以上、介入は可能だ。情報介入を許した場合、情報内容と情報価値に特定のバイアスが生じてしまうことは避けられない。メディアを分散し、情報のバックアップがとられたところで、構造的欠陥は解消しない。
 だが、グーグルやRSSリーダーが生み出すP2P型コミュニケーションならば、一切の介入を許さないシステムが構築できる。
 韓流ドラマの大ヒット作「冬のソナタ」のヒロイン・ユジンは、「私の記憶は私のもの」と名セリフを吐いたが、いかなる権力によっても、個のローカルな情報に介入できない。
 そのようなことを考えると、ネットをめぐるこちら側とあちら側の論議もどちらかに軍配があがるようなことは起きぬと予想できる。
 ならば、あらゆる強権力の介入に対抗して、個人の言論を基本単位として、それらのリンケージ(連携)やインテグレート(統合)を図ることによって成立する、自由な言論空間をつくればいい。
 インテグレートとは世論形成システム。個の言論たちを統合し、社会の意見として形成していくことだ。
 世論というと、政治を動かすための国民的な合意というふうに解釈されるかもしれないが、要は、大多数の合意事項だ。世の中の事象ひとつひとつについて国民的な合意がなれれるとともに、国民的な合意がなされぬものが仕分けられていく。
 そこにこそ、グーグルを発端にした新しいインターネットを中心とした言論空間が誕生することになる。

 つまりこうだ。
 世の中には、純粋律という誰が考えても、同じ論理的帰結になる事象がある。
 たとえば、数学の計算の答えや、物の定義などがその類だろう。そのようなものは、さまざまな対話型ツールによって吟味されることで、ネット上のコンテンツとして定着し、それをグーグルのような検索エンジンが検索できるようになるだろう。
 その一方で、矛盾命題についても対応がなされる。矛盾命題とは、考える主体によって、その判断が異なるような事案だ。
 たとえば、「人を殺すこと」は純粋律として許されぬことであるが、では、「人を殺してしまった人を司法は死刑にすることが許されるのか」というような場合だ。
 戦争に関しても矛盾命題であるし、そのような事案は結構あるのかもしれない。
 そのような事案の対立軸を明確にし、対照する言論を明確にし、それぞれの言論をフォーカスさせる。そのようなサイトも作られるべきだし、そのような矛盾命題の概要を知るためのサイトにグーグルの検索がヒットするようになるのが、ひとつの理想的な姿ではないだろうか。
posted by スポンタ中村 at 19:23| 東京 ☁| Comment(0) | 第二章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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