2008年11月03日

第二章:12

 悪名高い2ちゃんねる。それが世の中から失われれば喜びの声を上げる人たちも多い。
 与党政治家も野党政治家も、企業人も役人も2ちゃんねるにおいてバッシングされることは珍しくないから、そのような勢力が結集して、2ちゃんねるの閉鎖を企むのは自然な流れだ。
 だが、この稀有なスケールを持つメディアが、多様な言論の流通を促してきた役割は大きいし、その価値は高い。
 罵詈雑言・誹謗中傷・悪態の巣窟と揶揄される2ちゃんねる。だが、その一方で、この巨大掲示板が、言論のサンクチュアリ(聖域)としての役割を果してきたことも事実だ。
 リアルな社会のほとんどのフェイズでは、言論は発信者の価値によってその価値が判断される。だが、2ちゃんねるでは基本的に匿名による発信だ。これによって起こるのは、言論が言論のそのものによって価値が判断される。
 たとえば、2ちゃんねるのあるスレッドでは、匿名氏たちに混じって、○○大学の△△教授と名乗って意見を書き込む人がいた。きっと、当該教授は、実名で書き込むことが責任をとることであり、匿名で書き込むことは無責任であり、卑怯であると感じたのであろう。
 だが、そのようなリアルな世界での流儀は、2ちゃんねるでは通用しない。
 そこで、次のような書きこみが書かれることになる。
「あなたの○○大学△△教授という署名は、あなたの言論にとってノイズでしかありません」。つまりこうだ。2ちゃんねるの住人たちは、言論を言論そのものとして吟味することを目指している。だから、発信者の属性によって、発言の内容に権威を与え、価値を創造するような企みは行ってはならない。
 さらにいえば、さまざまな悪態語が使われることも、同様だ。言論の本質を最短時間で理解するためには、表面的ななめらかさを追求するような国語力は障害になる。結果、極めて粗放な言葉遣いがスレッドを横溢することになる。
 このような新しい日本語は新しい可能性を秘めてもいる。
 毎日新聞の正月の特集コラム「ネット君臨」に関するネット上の対談では、コラムに登場するパソコン通信時代からシスオペとして活躍してきた人物を形容する語句として、「男性」という語を使うべきところを「男」と使っていて、それが記者の登場人物への何がしかの感情を表現しているとの批判があった。男と書けば容疑者扱いであり、男性と書かれればそのような差別感はない。
 だが、2ちゃんねるでは、「男性」か「男」などという不毛な議論は成立しない。思えば、日本語とは極めて意図的な言葉であり、計画と企てと謀はほとんど同じ行為を意味するのだけれど、それを形容する人間の感情によって、3つの単語が使い分けられるのだ。
 だが、悪意のダンディズムに満ちた2ちゃんねるでは、そのようなことは起きない。坂口安吾の堕落論ではないが、心底堕落してしまった語句使いの中からのほうが、真実というものが見えやすいということもあるのだ。
 そのような単なる掲示板ではなく、あらたな文化を形成してもいる2ちゃんねるが、管理人である西村博之氏が訴訟の一切を発言者に代わって引き受けることで成立していた。
 西村氏は、東京地裁に日参して対応するも、司法が決して金額を一切支払わなかった。彼には彼の論理がある。私は法律の専門家ではないから、そこまでの説明に止めるが、どちらにしても、2ちゃんねるは、管理人の西村氏が訴訟のバッファ(緩衝材・調整槽)となることで、言論空間の自由が、かろうじて成立してきたのだ。
 そして、2007年8月のこの執筆時点においても、2ちゃんねるは閉鎖されていない。それが喜ばしいことなのか、忌々しきことなのか、それは分からないが、2ちゃんねるがメディアである限り、2ちゃんねるは公権力の介入の危険を孕んでいる。

 その一方、グーグル八分などという事象はあるとしても、メディアではないグーグルは、まったく異なる地平にいる。
 当たり前のことだが、グーグルは祭り・炎上・誹謗中傷と無縁だ。そこにこそ、グーグルがP2Pのツールたる所以だ。
posted by スポンタ中村 at 19:20| 東京 ☁| Comment(0) | 第二章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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