2008年10月28日

第二章:06

【カテドラルとバザール】

 さて、LINUXに象徴されるオープンソースムーブメントの一翼を担っていたエリック・スティーブン・レイモンド氏は、1997年に「カテドラルとバザール」という随筆をネット上で公表している。
 曰く、マスコミ型の情報配信の形をカテドラル(伽藍)型式とする一方で、インターネットをバザール(市場)型式と定義する。

(カテドラルとバザールの図)

 カテドラルには、権威者たる情報発信者が存在し、集まった受信者たちに情報を伝達する。情報の流れは一方的であり、出版や放送をイメージできる。私は、先に書いた「サイバージャーナリズム論」で、マスコミはマスコミではなく、マスディストリビューションであると指摘しているが、カテドラル形式とはまさにそのような、1対多の一方的なコミュニケーションを言うのだろう。
 一方のバザールは、カテドラルの門前の市場だ。情報発信者は複数存在するが、彼らは必ずしも権威者ではない。受信者たちも私語を禁じられていないから、対話が成立する。情報発信者が複数存在し、受信者たちもけっして孤立していない極めてインターネット的な世界だ。

 この1997年のアメリカ人によって随想されたこの概念は、インターネットをオルタナティブ・メディア(既存メディアの対称物・相互補完物)と捉える文脈上にある。つまり、既存型のカテドラルな情報伝達形態を補完する意味で、より自由なバザールな情報伝達形態が存在するのだ。
 そこには、ブログはおろか、見ず知らずのものたちを結びつけるグーグルも2ちゃんねるも存在しなかったようだ。

 だが、2007年の日本はグーグルがあり、2ちゃんねるがあり、Wikipediaがあり、テクノラティーがあり、はてなブックマークがある。インターネットがオルタナティブ・メディアだったのは、ブログの普及前のことだろう。
 カテドラルやバザールがあろうがなかろうが、好き合った個同士は、どこでも出会い・対話することができる。そして、どこへでも移動できるし、対話を中止することも簡単だ。

 それに比べるとカテドラルの発信者は大変だ。
 ブログの登場により、強権者だったカテドラルの中の発信者たちも対話を強いられるようになる。対話に答えないと、カテドラルから離れた場所で、噂話が広がっていく。とはいえ、不用意に対話(降臨)をすれば、新たなる批判(燃料投下)が発生し、噂話に一層の花を咲かせることにもなりかねないから、事は深刻だ。
 そのような事例の典型的な例が、アメリカのCBSの有名キャスターだったダン・ラザー氏が、ブログ言論の影響を受けて、番組を降板するといった一大事件だ。
 この事例をブロガーがプロの有名ジャーナリストに打ち負かしたと形容する人達が多いが、それは正確ではないだろう。ブロガーたちは、確かに放送局をあげての記事の捏造を指摘してみせた。とはいえ、それをして有名ジャーナリストを降板に追い込んだのは、ブロガーではない。有名ジャーナリストと放送局に対して政治的に対立する陣営が成し遂げたというのが実情だろう。
 アメリカではロビイスト活動が活発だというが、それらのロビイストの有効なリファレンスとしてブログ言論が活用されたのであって、フロとアマチュアが一騎打ちをしたなどという形容とは程遠い出来事に違いない。
posted by スポンタ中村 at 18:53| 東京 ☁| Comment(0) | 第二章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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